バブル崩壊直後1994年。就職氷河期の訪れとデザイナーへの転職および若気の至りについて

バブルがパンパン

無鉄砲。不用意。

向こう見ず。

1994年に22歳で転職童貞の捨てた時

若気の至りまみれでした。
決意した時点で22歳。

でも、実はその前にも「小説家になりたいから」(あ痛痛痛…)

との理由で真顔で上司に退職願を申し出たこともありました。

さすがに血相を変えて止められましたね。

(その上司のこと嫌いでしたが、この事だけに関しては今の私から感謝を申し上げます。笑)
なので、小説家→デザイナーに方向性を変えただけ、まだ現実路線を考えられるオトナになったんですね。
デザイン系学校を出ているだけでも充分現実性が高いw
世の中の小説家の数とデザイナーの数と比較しても現実味は高い。
(その前に才能)
次の職場を決めていないとはいえ、まだマトモ。
バブルがパンパン

あわわわ〜〜〜

バブル崩壊直後で有効求人倍率がグンと下がった時期

職場の大先輩(当時42歳)に言われたことを覚えています。
「今、有効求人倍率めちゃくちゃ下がってる時だよ?今は転職しない方がいいのに、大丈夫?」
心配してくれてありがとうございました!
その時は脅しのようにも聞こえましたが。
私からすると
【子供の頃から絵を描いたりが好きで→デザイン系の学校を卒業した→その仕事やりたい】
…この一本線の上に
「会社の意向で配属された、違う部署での仕事」がドーンと居座って邪魔してる状態でした。
ついでに長時間労働で毎夜21時やひどいと23時まで働く日も多かった。
「同じ長時間働くのなら、どうせなら・・好きな仕事したい…」との思いがどんどん強くなりました。
「有効求人倍率が悪い時に…」と言った大先輩!

その後、さらに有効求人倍率は下降を続けた

グングン!グングン下がっていくんです!
転職どころか新卒でも就職氷河期というやつが来るんです!
のちに言われる『失われた10年』の始まりなんですねーっ。

もしもあの時を逃していたら

「下り坂のてっぺん」1993年。23歳。
景気動向・・・
職種未経験での年齢のギリギリさ・・・
あの時を逃していたら。
デザインの仕事につけていなかった。
若気パワー。
向こう見ずパワー。
勢いだけで転職を決めた。

平成6年(1994年)の出来事

4月
・細川首相、佐川急便グループからの1億円の借金問題によって辞意を表明。 羽田孜内閣成立。社会党は連立離脱。
・ NATO がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でセルビア人武装勢力を空爆。

6月
・初めて1ドル=100円終わる。
・松本サリン事件が発生(死者8人)。後にオウム真理教の犯行だったことが明らかになる。
・羽田内閣総辞職。村山連立内閣発足

7月
・北朝鮮の金日成主席が死去。金正日体制が始まる。
・日本人初の女性宇宙飛行士 向井千秋さんが宇宙へ。

9月
・関西国際空港が開港する。

10月
・大江健三郎、ノーベル文学賞受賞決定

12月
・新進党結党(党首に海部俊樹、幹事長は小沢一郎)

出典:「平成史」佐藤優・片山杜秀

他にはファストフード店の低価格が起こったのもこの年。

平成6年のベストセラー
平城山を越えた女」内田康夫
今夜、すべてのバーで」中島らも
晩年の子供」山田詠美

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