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31年分の転職体験談!ある高卒デザイナーの場合。卒業から49歳まで

転職

こんにちわ。ころえもんです。

今回は自己紹介もかねてざっと私の経歴をまとめました。

31年(!)におよぶ職業人生。いろんな職場。人間模様。

世の中、いろんな職場があるよね!

【就職1社め】高卒で正社員。中〜大企業(ただしブラック)

デザイン系の高校を卒業と同時に就職。

まぁまぁ大手の印刷会社の組版オペレーター。

大手寄り(業界の上から数えた方が早い)だけど安月給。貧乏体質。サービス残業当たり前。

やりたい仕事(デザイン)とちがう!という思いを入社以来ずっと抱き続ける。

ブラック企業という言葉がなかった時代

当時ブラック企業という言葉がなかったが、今思うとコッテコテのブラック。新人研修は自衛○に体験入隊とか。

8時半〜毎日21時は当たり前(というか早い方)。

23時も頻繁。タイムカード押してから残業もしばしば。

30年経っても終電

当時の同期はいまもその会社で続けているが、30年勤続でもいまだ終電生活だったという。
ずう〜っと変わらず長時間勤務…。
「退職金前払い制」(在職中に退職金を月割にして月給に上乗せする)」というミラクル殺法も繰り出してくる始末。
挙げ句の果てに31年目にして分離解体、リストラ。ブラック大企業の成れの果てである。

過労死という言葉が浸透していなかった時代

当時、過労死という言葉が普及していない時代だった。

が!

今思い出すと…過労死者、出てたわ。

「あの人のあれって過労死だったんだわ…。」と、いまさら気づいた。朝の通勤時に駅のホームで心筋梗塞であっけなく亡くなった42歳の課長。

関連記事>>「組版オペレーターじゃなくてデザインやりたかったんだよ」

なんだかんだで石の上にも勤続3年10ヶ月。

【初めての退職】22歳。自己都合で退職

退職理由:子供の頃からやりたかった仕事(イラスト、デザイン関係)に就きたいため。

転職活動する前に退職。

退職後、N.Y.に旅行。

帰国後の貯金額70万円。

「転職活動って?」と漠然と思いながらとりあえずハローワークの求人を見てみたり、イラストを描いたりして過ごす。

※当時はインターネット以前の時代。ガラケーも普及レベルではない。ポケベルを一部の人が使っていた程度。

転職サイトなんて便利なものはない。

時は就職氷河期

ころえもんは1971年生まれ組なのだが、高卒だったために就職活動期(1989年)は氷河期一歩手前の時代であった。入社は1990年。

同級生で4年制大卒は氷河期にぶち当たった模様。(ただし、当時のころえもんは世間知らずでその辺の自覚も薄かった。)

関連記事>>「平成初期。インターネット普及以前の転職活動ってどうやってた?」

2ヶ月後、知り合いの勤めていたデザイン事務所に正社員で入社。

【初めての転職】23歳。未経験からデザイン事務所の正社員。ブラック当たり前

未経験からテキスタイル(生地のこと)やステーショナリーのデザイナー。

10〜12人程度のデザイン会社。

全て手描きでキャラクターなどイラストとデザイン。アクリルガッシュで仕上げる。

後年、Illustrator、Photoshopも混ぜるように。

低単価。当然のように、ブラック企業。

今でいうブラックなんだけど、「デザイン会社ってこういうものだろう」という時代。

低賃金。残業月100時間以上?(タイムカードも勤務表もない。どんぶり勘定。)

届出書の類もなかったなぁ。(今思えば)

サービス残業。

ボーナスなし。たまに金一封(最高で一回だけ10万。ほか3万円とか)

退勤は常に終電、よくて1本前。

みんな、始業も終業も「定時」の概念がなかった。

年に2度ほど、21時に退勤すると、ものすごく早く帰れたような、幸福感・解放的な気分を味わえたものだ。

でも、時代柄?
どうせブラックなら「やりたい仕事でブラック勤労精神」で転職したもので。

(1社目は希望職種じゃなくてのブラックだった。それが今度は夢だった職種で給料までもらえて勉強できて幸せだ!という、やりがい搾取を自ら望んで飛び込む精神。)

面接時に先輩に言われた至言。

好きじゃないと
できない仕事。
でも好きなだけでは
できない仕事。

けだし名言。けだし、やりがい搾取。

前職と違いクリエイティブは実力の世界だ!ツラくとも石に齧りついてでも辞めないぞ!!と誓って入社。

テキスタイルって苦手だな…向いてないな…。と思いながら、落ち込みながら。何とか石に齧りつく。

キャラクター単体を描いたりは楽しいが、「テキスタイルのレイアウト」にするのがすごく難しいのだった。

あと「完全に均一な太さをキープして一筆で円を、フリーハンドで描けるように」だとか。

家で何回も筆で練習していてある日「そうか!」とコツが分かった時には嬉しかった。筆先と紙の接点を見るのではなく、一歩先に目線を走らせるのがコツ。

デザインやイラストにもいろいろジャンルがある。テキスタイルといってもまたターゲットやら用途で細分化される。その中でも自分の得手不得手を把握してゆく。

むろん、不得手なジャンルでも仕事だからやらなければならん。

デザインの基礎みたいなのはやっぱりここで教わり、学んだなぁ。

転機が訪れた6年め。業績不振で傾く。

デザイン事務所の業績がいよいよ悪化。

さらに、社長が知人の借金の保証人になり、知人は雲隠れ。事務所に借金取りのヤクザが来たり、社長が消息不明(自殺未遂)など。不穏な日々。

給料遅延も発生。

テキスタイル(繊維業界)そのものの不振も。

テキスタイル、グラフィックとあった2部門のうち、グラフィック部門が独立宣言。

私のいたテキスタイル部門は「今の社長1人の会社として残す。社員としては雇えないが、フリーランスとしてうちの仕事を続けてくれてもいい、別な道を選んでくれてもいい、どうする?」と突きつけられる。

考えた末、自分にはテキスタイルの才能はないと思ったので、別の道を模索することに。(ほかの人はフリーランスで続けていた。)

私だけ別の道を歩むので未払い分の給料を渡された。

6年10ヶ月で離職。

未払い給与の後日譚

フリーで続ける人へは「もうちょっと待ってくれ、必ず返すから」と先延ばしにされていたらしい。(と、後で知る)
「ころえもんだけ、さっさと見限ったおかげで遅配の給料も出してもらって、いいよね」みたいに思われていた。(直接言われたわけではないが。意訳すると。)
半年後の集まりで「あの時の給料もらったの?」と聞かれた。「はい、もらいました」と答えたら、残留組は顔を見合わせ、微妙な空気を漂わせていた。

【3社め】短期:求人雑誌で見つけたイラストレーターの事務所にバイト

anだか「とらば〜ゆ」だかの求人雑誌で見つけた、イラストレーター先生の事務所。

オリジナルキャラクター制作とその書籍やグッズを展開する零細企業。バレンタインの季節には百貨店に商品が並ぶ。

先生+契約社員+バイト(私)、合計3人。

先生はイラストは描けるがデザインはできないため、契約社員と私がデザインをするお役目。

3週間やってみたけど、

むり!!

辞めた理由①雑務過多。先生の身の回りのお世話的なものが多い。

10時30分、出社。(先生は昼頃くる。)

午前中は雑務で終わる。

雑務とは

事務所マンションを普通に掃除、タオル類を洗う。グッヅがたくさん陳列されている棚をお掃除。10時・3時にお茶とお菓子の準備、お昼のお茶を沸かす。先生指定のコーヒー豆をドトールに買いに行く→コーヒーに入れる牛乳をコンビニに買いに行く。豆をゴリゴリ挽く・淹れる。
夕方に先生はビールを飲みながら仕事をしたいので、その準備。(自分達にも勧めてくださるが、自分は特に飲みたくはない。)あと先生が見る資料の大量のスキャン。機械音痴の彼女らに代わってMac関係のお世話。

遅くても20時には帰らせてくれるのだけど(前職に比べたらずいぶん早い)

ビールとかお茶とか飲みすぎてるヒマに朝から普通に仕事した方が良いじゃん。てか各自が好きなタイミングで好きなもの飲もうよ。別にビール好きじゃないし!

辞めた理由②デザインする時間の少なさ。

①と連動するが、雑務がメインでデザインは後回しであること。(まあバイトだから。)

いざデザインとなってもヒト(先生)の描いたイラストをグッズ用に展開する、つまり自分の絵は出さないというつまらなさに、いざ直面すると困惑した。(まだ28歳。自分の絵を出したい気持ちも残っていた。)

辞めた理由③世界観が向いてない。

チョコレートとそのパッケージとか、その他、ファンシーな女性向けデザインが苦手。

どんな世界でもその道は厳しい。独特のルールやセンスやセオリーがある。

雑務に大半の時間をさかれながら、これを会得せねばならん?

あ…自分にはムリだ

辞めた理由④社会保障もなし

生活できない。時給850円(うろ覚え)のバイトだからというのはわかってはいたが。

まだ世情に疎く、求人情報を上手く理解・咀嚼する見識もなかったのだ。

いろいろ綜合的にムリ。

だいたい、「辞めよう」ってなるのは【綜合的に】判断するよね。求人情報の書面だけではリアリティがつかめない。

【学んだこと】職場って、入ってみなけりゃリアルが分からん!

私が入る前に、デザイナーが何人かいて長年勤めていたのだが、なんか揉めごとがあったようで、一斉退職されたらしく。1人しか残っていなかった。

「社会保障がなかったから、将来のこと考えたら、みんな辞めちゃったの。」と残留した1人が教えてくれた。

「だからころえもんさんが辞めたいって思うのも自然なことだから、仕方ないのよ」と。(超いい人だった。)

いや、先生も優しくて良い人なんだけど・・・。いい人ではあるんだけど・・・

早くから絵の才能でやってこれた芸術家肌なので。経営感覚もなければ、ましてや使われる側の気持ちも分からないのは仕方がないんだな。

【転職4社め】長期派遣:某ゲーム会社へ

大手ゲーム会社に派遣で1年3ヶ月。

マルチメディア部門でプリクラやなんやらのユーザーインターフェイスやキャラクターの2Dグラフィック制作。

前職のデザイン会社(テキスタイル)ではうまくいかないなーってことが多かったが、ここへくると「速い上手い、Illustratorも巧み」「これだけできたらどこ行っても大丈夫ちゃいます?」と評価される。(おべんちゃら?)

速いに関しては、テキスタイルの事務所で一分一秒を争うタイムリミット仕事に終われていたから、速くなれたのかも。といってもそこでは遅かったんだが。

【学んだこと】あっちではダメだったとしても、別な場所では異様に評価されたりする。時間の流れ方も違う。

でもその評価してくれたディレクターさんも(手描きの)絵がバリクソ上手かった…。

さすが有名ゲーム会社ってスゴいな…と思った。社員食堂の豪華さとか。

プロジェクト終了とともに契約満了。

【転職5社め】長期派遣:某アミューズメント会社の広報室へ

平たくいうとパチンコメーカーの広報部門。

版権ものをパンフレットやグッズに展開するグラフィックデザイン。

2年在職。契約満了(自己都合)。

先々を考えると正社員にならないとな、と考え、退職。

辞めてから就職活動。

【転職6社め】正社員でフランチャイズ運営本部の会社に就職。32歳。

レジャー系のフランチャイズ運営本部の企業に正社員で入社。

グラフィックデザイン・企画に携わる。

仕事内容は自分に合っておりスキルの過不足も感じず、それなりに楽しく働いていた。

嫌だった点

①テンション高い朝礼

②服装の規定。要ジャケットのオフィスカジュアルなこと。(デニム、スニーカー不可)がイヤ。

服装自由って私には働きやすさに直結してる。

望まぬ転機

経営不振。90人いた従業員のうち2/3がリストラとなり、自分もその対象に。

3年半ほど勤続。退社時36歳。

【黒歴史1年】長い求職活動。リーマンショック後2008年

経営不振はリーマンショックの直前だし、因果関係はなかったのだが。

ぶち当たった不況の波。

敗戦に次ぐ敗戦。

求職活動をしながら、4つほど短期派遣や単発バイトや、お試しバイトなど入れて、しのいだ。

連戦の記録はまたの機会に。(長くなる!)

特記事項

新宿にある看板施工会社に採用。されたものの、

低賃金すぎるのと全く休めない環境でムリだ!

と結論し、試用期間で辞退。

兄弟2人の零細。

インフルエンザとかになったら、皆さん(2人)どうしてきたんですか?」

と質問したら

「うーん、なったことないけど、高熱あっても、会社来るしかないよね」

と答えが返ってきた。

「給料は少ししか出せないけど(手取り12万いくかいかないか)その分、ご飯をご馳走して還元するんで」と言われた。

すいません、ムリってなりました!!

職場環境(物理)もムリだった。

事務所(マンションの一室)が散らかりすぎてて危険を感じた。

壁一面の崩壊寸前の棚にギッシリ道具や素材が無秩序にギュウギュウ詰めとか。あそこで東日本大震災を迎えていたらどうなっていたのだろう。

そして有機溶剤の匂いが常に充満していて、アレルギー性鼻炎がひどかった。

【正社員で再就職】37歳

38歳になる直前でようやく再就職できた。

長かった浪人生活に終止符。

現在に至る。

勤続11年。そりゃ二度や三度は辞めたくなったことはありました。

辞めたくなったときの日記

闇に2〜3社リクナビNextで応募してみたり。

1社書類選考通ったけど、音沙汰が1週間も後の当日の朝(しかも大雪の日)に「今日面接来れますか?」って。在職中だっつってんのに当日の朝に連絡してくるって、アホなのかなこの会社。って思って放置したところはありましたけどね。ま、そんなところぐらいしか、この私にお呼びはかからんわな、と客観視してみたり。

本屋で面接マニュアルみたいな本買ってきて、パラっとめくって「あ…めっちゃめんどくさい」と思って、なら続けたほうがマシだわ…ってなったり。

「身の丈」とか「市場価値」、あと「自分のやる気の程度」が分かるようになりました。

2020年コロナ禍。

辞めなくてよかったわ…喉元まで上がってきてたけど。。と今では思う。

転職遍歴まとめ

現在49歳。

振り返ってみると…

学歴もないのがよくやってこれたな。。。

と思うのだった。

【学んだこと】

❶就職活動、死ぬほどめんどくさい。あれをまたやるくらいなら死んだほうがいいと思う。

❷誰かが捨てるそのイスは、喉から手が出るほど他人が渇望するイス。

【疑問】

世の中、ブラック企業は見限られ、倒れ、淘汰されてきたのだろうか?

他にはこんな記事があるよ!

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